親民社

【書評】保守主義者たるとは  

第三部


第9章「インターナショナリズムの本質」において、再び議論の中心に置かれるのは欧州連合の問題である。
教授はこの章において「補完性(subsidiarity)」の観念に関して、スイス連邦共和国と欧州連合の差異を指摘する。すなわち、スイス連邦においては連邦政府が地方自治体の決定に介入するのは自治体がそれを要求したのみであるのに対し、欧州連合においては補完性の原理は常に加盟国家の主権に介入する前提で存在している、と批判する。その上で再び、国民主権こそが民主主義の基盤であり、それとは逆の方向に向かっている欧州連合は、ソビエト連邦においてレーニンが犯した間違いに極めて近づいてきている、と警告する。
その上で教授は国際連合に関して、その果たした役割を一定の割合で評価しつつ、カントの目指した「永世平和」は、国際機関に対する権限の集中ではなく、明確に国民が主権者である国家同士によって、各国家が共存できる範囲内で国民の認めるところの条件においてのみ平和は樹立できるのだと考えるべきである、と主張する。

 

以上のいくつかの論点に関して議論を行った後に、教授は総論的な議論を最後の4章に亘って行う。まず第10章「保守主義の本質」において、教授は保守主義の柱となる要素をいくつか挙げる。すなわち、「協働と差別」「自律した機関」「対話に基づくモデル」「友情、対話及び価値」「労働と余暇」そして「自由の護持」である。
まず「協働と差別」に関して、教授はこれまでの社会論・共同体論を繰り返して、自由な社会というのは「下から」芽生えるものである、と述べる。
そしてそのような社会を支えるのは、「学校・教会・青年団」等々の国家権力外の機関(institution)であり、これらを徹底的に破壊しようと試みた旧東側の社会主義政権を教授は強く批判する。しかしながら同時に教授は、これらの機関が選別された一部の人間のみで成り立つ排他的な存在である以上、必然的に差別を生む可能性もまた指摘する。
そして実際にそのような差別を生む可能性があるとして、アメリカ合衆国の多くの州で設立が禁止されているボーイズ・クラブを挙げる。教授はここに自由と平等の相克が最も端的に表出しているとし、両者の間でバランスをとることの困難さを述べる。しかしながら同時に前者の側に立ち続けることが自由を守ることに直結すると述べ、平等よりも自由を優先する立場を明確にし、後者は常に自由を嫌悪する人間のルサンチマンによって希求される傾向が強いことを指摘する。

この箇所において重要なのは現在の左翼リベラリズムによる「反差別」的政策と、旧共産圏における反社会的政策に通ずる共通項を浮き彫りにしている点だろう。両者は明確に「自由」よりも「平等」を重視する立場にあり、どのような「不平等」を是正しようと試みているかは別であるにせよ、「平等」の実現によって犠牲にしようとしているものがあまりに大きい可能性があることは、指摘しておく価値があるだろう。
次に「自律した機関」に関して、教授は上記の議論を継続する形で再び「機関」の重要性を述べた上で、ルサンチマンから守られるべきそのような「下から」発展した機関の1つとして英国のパブリック・スクールをあげる。教授はこの形態の学校機関が平等主義(egalitarianism)の立場から何回も攻撃にさらされてきたにも拘らず生き延びてきたことを賞賛し、間違った平等主義のもとでこのような学校を閉鎖するよりも、むしろそれらが社会に資するものであるとして多く開校すべきである、とする。そして保守主義の本質的な主張とは、「社会は上から殺されうるが、下から生じ出るものなのである」というものであると述べる。
この教授の議論は、例えば現在フランスにおいて国立行政学院(ENA)をエリート批判に応ずる形で閉鎖する方向性が打ち出されている中、現実味を持つものだろう[4]。国民を「総ルサンチマン化」させるようなこういった政策は、国家をリードできる優秀な人材を輩出する可能性そのものを消滅させる危険性をはらんでいる。対して英国は、繰り返すように現在においても身分制国家であり、成文憲法もなければ平等規定もない国家である。ゆえに、イートン校のような制度としてのパブリック・スクールを維持することができている、といえよう。

3つ目の柱である「対話に基づくモデル」に関して、教授はオークショットを参照しながら、政治的確執は対話を持って解決すべきであり、何らかの暴力的な強制力を持って解決はなされるべきではない、とする。そして前者が保守主義の政治解決の方向性であるのに対して、後者は一貫して教授が批判している「上から」の政治的解決の手段であると述べる。

第4の柱である「労働と余暇」に関して、教授は前の「対話」の重要性に関する議論を引き継いで、労働と余暇が政治においてどのような役割を果たすべきかを議論する。ここで教授はマルクスの疎外論を批判しながら、協働作業を含む労働こそ、そこに生き生きとした対話を持たせることで人間性に満ちたものにすることが可能だと主張する。そしてそこにシラーの「美的遊戯」の理念を与えることで、労働の中で生じる対話が美的になることで政治を「美化(aestheticize)」するべきである、と主張する。そして労働と同様、余暇もそのようなものであるべきだと述べる。

第5の柱である「友情、対話及び価値」において教授は再び「対話」に関する議論を引き継ぐ形でアリストテレスが提唱したような友情と美徳(virtue)に基づく社会と国家の関係を構築することを目指すべきであると主張する。そしてそこでは対話が友情と美徳の上に成り立つものであると述べる。同時に教授は社会のあり方には一定のルールと慣習があるべきであるとし、それが「価値(value)」である、とする。この「価値」に関する具体的な議論は次章において展開される。

第6の柱である「自由の護持」において教授はこれまでの議論を踏まえながら、「対話」を基盤とした「自律した機関」の集合体である「社会」こそ保守主義者が守るべきものであると述べる。そして警察のような組織は国家レベルではなくローカルなレベルで、地域共同体に根ざした存在であるべきであるとする。教授によれば、警察はコモン・ローの伝統に則り、国家権力の意志のままに自由を破壊する存在になるのではなく、むしろ国家権力から自由を守る存在でなければならない。

上記の最後の柱における警察組織に関する教授の議論は、極めて反近代権力的な議論であるといえよう。この議論においても、社会も国家もローカルなレベルに始まる形で「下から」作られるものである、という主張が一貫して根底にあることがわかる。
しかしながら果たして、教授が主張するようなこのような警察組織が近代的な大都市社会において存在しうるのかは疑問のあるところである。
そもそも大半の人間が見知った存在ではなく「匿名」の存在である大都市においては、警察組織も警官も「地域に根ざす」のはほとんど不可能であり、近代警察はその不可能性を前提にして構築されたところがある。このことを鑑みれば、教授の警察論は批判的な検討が必要であろう。

 

第11章「価値の領域」において、教授はこれまでの議論を総括する。
第一に教授は、「国家の果たすべき役割は社会主義者が求めるものよりも小さく、古典的自由主義者が求めるものよりも大きい」として、適度な大きさの政府が必要である、と主張する。

第二に、教授は国家における宗教の立ち位置について、宗教は世俗的な法体系の中において自由に実践されるべきものであるとして、イスラム原理主義を強く批判する。その上で、世俗的な法体系の範囲内に収まるべきでありながらも、宗教が文化形成に果たしてきた大きさを認め、その点では守られなければならないものであるとする。

第三に教授は婚姻制度に関して、これを個人の自由と尊厳の象徴であるとして国家権力の過度な介入から保護すべきである、と主張する。 そして第四に教授は、「文化と美」が「価値の領域」において最重要なものであるとして、本書において初めて極めて美学的な議論を展開する。この箇所において教授は極めて保守的な芸術観を提示し、マルセル・デュシャンの現代アートやル・コルビジェの建築様式に対して強い批判を行う。その上で、筆者が前章で述べたような美学者たちの名前を挙げて「今いるこの場を自らの故郷と考え、他者及び自分自身との間の調和的な生活を送ることができるようになる」道を選ぶべきである、と述べる。

本章の題目にある「価値」に関して教授が最も重視するのは、美学者らしく「文化(芸術)と美」であるが、ここで教授が展開する芸術論は残念ながらあまりにも(ブルジョワ市民的な観点から)保守的なものであると言わざるを得ない。ここで教授が行うのは(特にフランスの)モダニズム芸術に対する強い批判であり、このモダニズムが18・19世紀的な西欧の美的規範を破壊したからに他ならない。
しかしながらモダニズム建築を含めた様々な20世紀のアートが新たな美的領域を切り開いたことは間違いない事実であり、これらを「美的ではない」として一方的に否定するのは逆に様々な美的規範に対して寛容になれない頑迷さを露呈している、と批判されても仕方ないだろう。ここから見て取れるのは教授が極めて近代美学の立場に忠実に従っているという事実に他ならない。

 

このように自身の美学的立場を前面に出した後、教授は再び世俗主義と民主主義の連関の議論を行う。
第12章「実践的な重要事項」において、教授はまず「西欧的民主主義は、一定の領域内における世俗法の支配を基盤として成立する」として、宗教的正統主義(orthodoxy)による支配を自由原理に反するとして退ける。ここで教授が「宗教的正統主義」として強い懸念を持って挙げるのはイスラム原理主義である。
その上で、現在欧州委員会及び欧州裁判所によって強要されている新たな「正統主義」として「男女に差異はないとするジェンダー平等の原則」と「文化相対主義の原則」があるとして、これらを自由と民主主義の反対勢力であるとして批判する。そしてこれらの反対意見を認めない「正統主義」が政治的妥協を原則とする民主主義に正面から反するとして批判し、保守派も多数意見の優位の原則と同時に少数意見の尊重の原則を離れてはならないとして、それを怠れば政治的分断が深刻化する可能性があると警鐘を鳴らす。
この教授の世俗法重視の立場は、教授自身が書いているように、宗教対立が原因で陰惨な内戦を経験したイギリス特有の背景があるように思われる。清教徒革命においてまさしく「宗教的正統主義」同士が激しく衝突した経験があるからこそ、名誉革命以降のイギリスは慣習法・世俗法重視の法体系を志向していったことは周知の事実である。
また教授の「新たな正統主義」すなわち左翼リベラリズムに対する批判及び警告は、現在のアメリカ合衆国の状況を見ていると極めて強い現実味を帯びてきていると思われる。
国民それ自体が「加害者」と「被害者」に分けられた上でそれぞれ異なる党派同士で結び付き、他方を同胞と認めない現状は、国民国家のみならずそれを支える民主主義的制度そのものにこれまでにない危機を突きつけている。そしてポスト冷戦期において左翼リベラリズムが希求したところの「ポスト・国民国家」は、皮肉にも「多様性と寛容」が国民同士の間に一種の内戦状態を作り出すことで国家そのものを内部崩壊させる方向に作用しているといえよう。この教授の警告を我が国は他人事として聞き流すべきでは到底ないと、筆者は考える。

 

最終章である第13章「哀哭を退け、喪失を認めるような告別」において、教授はこれまでとはうって変わって、極めて文学的な議論を展開する。
シラー『素朴芸術と情感芸術について』を想起させるような美しい散文で書かれたこの章において、教授は脱宗教化・世俗化した近代の英国においていかに文化保守主義を実践するべきか、ということを問うている。ここで取り上げられるのはヴィクトリア朝期のイギリスの耽美派詩人であるマシュー・アーノルド及び同時期の批評家であるジョン・ラスキンである。両者はここで19世紀において人間精神にとって重要な位置を占める宗教性が失われつつあることを自覚し、その喪失の痛みを感じながらも、キリスト教文化の遺産というものを後世に残そうとした、と教授は述べる。そして両者の列に並べられるのがT.S.エリオット及びR.M.リルケであり、教授は彼らが「喪失を認めながらもそこで哀哭に暮れることを拒み、むしろ未来を向いて遺せるものを遺そうと試みた」と賞賛する。
これらの文学者たちと共に教授が挙げるのが自らの父である。教授は、彼が社会主義者で無神論者でありながらも、「歴史的連続性と人々がそこで生きたことである証の古い建築物」を保全することに力を注ぎ、それらが連続性を中断するモダニズム建築によって置き換えれられることを嫌悪したことを想起し、ここには「深く根ざした保守主義の精神」があった、と述べる。
上記の文学者の次に教授が挙げるのが英国国教会・聖公会である。教授はまず聖公会がいかにプロティスタンティズムとカトリシズムをごちゃ混ぜにした下らない混合物にすぎないか、いかにこの教会が現代において内実的な意味をほとんど失っているかを述べる。その上で、しかしながら同時に聖公会は内実的な意味をほとんど失い、そして神学的な論争を基本的に避けてきたからこそ今まで生き延びてきているのであり、まさしくそのために英国のナショナル・アイデンティティそのものを形作っているのである、と主張する。
そして英国では人々が聖公会の教会などを英国文化の遺産として守り保全してきたからこそ、それらの建築物はいまだに美しさに満ち、文化的象徴として英国の隅々を美で満たしているのだと説く。教授はここに、「保全・保守(conservation)」の本質があるとする。すなわち、保守主義とは美のみならず、歴史的連続性とその意味を保全するものである、と。そして最後に、再び自らの父に言及し、彼は郷土の自然・景観・歴史的建築物などの保全を通し「人々の心が必要とする美を守るために、庶民の側に立って戦っていたのだ」と述べる。
この教授の議論は極めて近代主義的な保守主義の文脈に則った議論であり、いわゆる世俗主義的ナショナリズムの擁護論であるといって差し支えないだろう。そしてそうであるがゆえにこそ、この議論は英国独自のもの、もっと言えば(これは教授自身が自覚して書いていることであるが)英国保守主義にのみ適応されるものである、ということができるだろう。
例えばカトリック保守主義が強固な国家においてはこのような世俗主義的な保守主義の議論は通じることはないであろうし、他の宗教的保守主義が強固な国家においても同様である。また我が国においても宗教性を明確に帯びている皇室も確かに歴史的連続性を保持する役目を担っている面はあるものの、「内実的な意味を失っ」て存在し続けている、ということは明らかに考えられないだろう。このことを鑑みれば、本章における教授の議論がいかに「普遍的」なもの足り得ないか、ということが逆説的に浮き彫りになる、といってもいいだろう。
しかしながら同時に興味深いのは、教授の父に関する議論である。この議論は第1章においてある程度行われていたものであったが、再びいかに労働者階級の教授の父が「地域に根ざした」保守性を有した人間であったかが言及されている。ここから読み取れるのは、いかに英国、特にイングランド北東部における労働者階級の人々が、サッチャー政権以降に生み出され、そして「第3の道」路線に舵を切った労働党のブレア政権以降に大量に増殖し、ロンドンを中心とした大都市に居住する根無し草の「グローバル市民」とは異なる性向を有していたか、ということである。

 

総評

本書が出版されたのは2014年であり、英国のEU離脱を問う国民投票が実施される2年前のことである。UKIP(英国独立党)がイギリス政界において猛威をふるい、政治の最重要問題として欧州連合の問題を提起していた時であった。これは単に英国の外交問題のみならず、様々な左翼リベラリズムによって規定された国家のあり方そのものを問うものであった。
そしてそこには、労働党が「第三の道」に舵を切って以降、常に政治によって無視され続けていたかつてのイングランド「労働者階級」の影があった。教授はまさしくこの労働者階級の存在を自らのバックグラウンドに持ち、彼らに対して深い慈愛の念を抱いていた。
本書において前面に打ち出される、そういった労働者階級こそが「保守主義者」たちである、という観念は、当時においては決して一般的なものではなかった。しかしながらブレクジット以前において、誰が「保守主義者」であるかを英国の保守派が理解し得ていなかったのも、また事実である。
左派的リベラリズムがポリティカル・コレクトネスの力を背景に跳梁跋扈していた当時の英国において、保守党は自らの国家としての基軸を全く打ち出すことができていなかった。
しかしながら当時すでに、国家の新たな基盤となる理論は、スクルートン教授をはじめとして、非主流派の保守派の知識人が用意していたのである。

現在、英国保守党が難なく新たな国家の方向性を打ち出し、円滑に政権運営を行えていることには、そのような理由があるに相違ない。
筆者は、我が国の保守派知識人が故・ロジャー・スクルートン教授の業績に習い、私自身を含めて、我が国の新たな展望とその向かうべき方向性を指し示す政治理論を構築せんことを、いち愛国者として心から願うのみである。

アウグスト・ジグムント

 

書誌情報Scruton, Roger: How to be a conservative, Bloomsbury Continuum, London, 2014

 

[1] 鄭暎惠『<民が代>斉唱』岩波書店、2003

[2] https://www.youtube.com/watch?v=i0unyDh6wAo&t=15s

[3] https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/h142091.htm

[4] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR0903R0Z00C21A4000000/