親民社

【書評】保守主義者たるとは  

ロジャー・スクルートン著『保守主義者たるとは何か』(2014)評
令和三年五月九日
アウグスト・ジグムント

 

序論

本書評は、イギリスにおいて保守党の政策決定に大きな影響力を及ぼした故ロジャー・スクルートン教授の保守思想が、本人によって簡潔にまとめられた『保守主義者たるとは何か(原題:How to be a conservative)』を取り上げたものである。
教授は英国本国において大きな知名度と高い名声を誇り、死に際しては現在のイギリス首相・ジョンソン氏をはじめとして多くの有力保守党政治家が追悼コメントを出したにも関わらず、本邦における関心は低く、メディアに取り上げられることはほとんどなかった。
拙稿は、そのような状況下において、少しでもこの現代イギリスにおける保守主義の大物を本邦に紹介せんとする試みの一環として、今回筆者が執筆した次第である。

まず、スクルートン教授の簡単な人物紹介をさせて頂きたい。教授はその功績に応じて英国政府よりナイト爵位、チェコ・ポーランド・ハンガリー政府より勲章を受勲しているが、ここに彼の2つの顔を見出すことができる。
一つは英語圏において評価された優れた美学者としてのものであり、もう一つは東欧諸国において高く評価された保守主義の思想家、というものである。拙稿において重要となるのは教授の後者の顔であるが、そのような評価を教授が確立するに至るまでの道のりは次のようなものである。
1944年、イギリス・イングランドのリンカンシャー州のバスリングソープに生まれた教授は、同時期において典型的であった、イングランド北東部の社会主義的信条を持つ労働者の家庭に生まれ育った。大学時代においてフランス・パリに留学した教授は1968年の学生運動を目撃し、それに強い反発を覚えて自身の保守主義的性向を意識するようになる。1971年からロンドン大学のバークベック・カレッジにおいて美学の教員として教鞭を執る傍ら、保守主義の知識人として様々な活動を展開するようになり、80年代においてはチェコを中心として、東欧の知識人反共グループと接点を持つようになる。これらの活動が評価されて、冷戦終結後に前述の受勲に至るのである。
90年代以降は主に英米を行き来しながら様々な言論・研究活動を行い、2010年代には一時期イギリス保守党の顧問にも任命されている。2019年、癌により永眠し、前述のように多くの著名人から追悼コメントが寄せられた。

本論

さて、以上の紹介を行った上で本書そのものの論評に入りたい。
まず第1章「これまでの旅路」に関して触れておきたい興味深い部分は、教授が自身の父について述べるところである。教授の父は冷戦期のイングランド北東部に典型的な労働党支持者であり、社会主義者であった。それゆえ保守党を嫌悪し、貴族層は皆打倒されなければならないと考えていたが、同時にノルマン・コンクエスト以前の「古きイングランド」、すなわち汚される以前の自らの住む土地に深い愛着を覚えていたという。景観保護活動に精力的に参加し、郷土詩人の詩歌を愛吟したという父の姿は、教授によれば極めて保守的なものであった。ここに2019年の英国総選挙において、大挙して保守党を支持したイングランドの労働者階層の姿を見出すことは困難ではないだろう。
この父の姿に自らの保守主義の源流を見出した教授は、冒頭に述べた自らの生涯を語る。その中で重要な契機となるのは、冒頭にも述べた冷戦末期のチェコはプラハにおいて行なった講演である。教授はそこで「打ちのめされたプラハのインテリゲンチャの成れの果て」の姿を見て、彼らに尽くさねばならないと決意する。そうして教授は強固な東欧における反共知識人のコミュニティを形成するのである。 以降は冒頭に述べた教授の生涯を詳しく述べたものであるので、割愛する。

 

第2章

「我が家から始めて」においては「一人称複数(first-person-plural)」の感覚が保守主義の真髄である、という議論が中心に据えられる。
本章において教授は、まずアダム・スミスの『国富論』における議論を批判し、全てを市場経済に還元しようとする試みは社会主義的な計画経済の試みと何ら変わらない、と断ずる。その上でスミスの議論に対抗する形でエドマンド・バークを引き合いに出し、社会とはトップダウンの計画ではなく、下からの漸次的形成によって発展していくものだ、と主張する。ここに教授の「社会保守主義者(social-conservative)」としての姿を見出すことができよう。
英国特有の、リバタリアニズムには全面的に賛同し得ない反新自由主義的な保守主義者の姿である。
次に教授は啓蒙期における社会契約説を批判し、それが「一人称単数(first-person-singular)」の立場に過ぎないと断ずる。何故ならば、教授によれば社会契約を前提とする「社会」には、契約能力の無い死者や未生者は含まれ得ないからである。教授は社会契約ではなく、「社会員(membership)」であることこそが、社会を構成する柱であると主張し、死者も未生者も参与可能な社会財産権こそが社会を維持するのに必要なものであるとする。
その上で教授はこの社会員概念を持たない社会主義者たちを強く批判し、彼らには一人称複数の感覚がない、と主張する。

 

この第2章における「一人称複数」の議論は、次章に引き継がれる。第3章「ナショナリズムの本質」において、教授はナショナリズムと保守主義がどのような関係にあるかを論ずる。この章において教授は(元来左翼思想である)イデオロギーとしてのナショナリズムの「危険性」を認めた上で、保守主義的な観点から「国民(nation)」が何であるかを、次のように説明する。
すなわち、庶民からすればそれは単に「一人称複数」の前提の上で成り立つ、歴史的に成立した隣人たちによって構成される集合体以外の何物でもないのである、と。この説明と定義を前提として教授は、近代的・世俗的原理としてのナショナリズムを、民主主義を成り立たせるために必要不可欠な原理として擁護する。すなわち、教授によれば前近代的・宗教的な共同体意識では一定程度の隣人意識を作り出すことは可能であるが、しかし同時に異なる宗教間での対立をも生み出すがゆえに、国民統合のためには、国民が総体として同意するところの世俗的な法と立法体系、すなわち民主主義が必要なのである。
このような議論を行った上で教授は欧州連合(EU)に懐疑の目を向けて以下のように疑義を呈する。すなわち、欧州連合は第二次大戦以降に「危険な」ナショナリズムを克服する手段として生み出されたが、果たしてそれはナショナリズムに代わる何らかの「一人称複数」の感覚を作り出すことに成功したのか、と。教授は明確に否、と答えた上で、国民の同意ではなく条約によって成立した連合は、その立法と法体系の正当性に関して常に疑義を突きつけられている、と主張する。
上記のような強いEU批判を行った上で、教授は再び民主主義と国民(国家)の強い結びつきを論じる。
前章に引き続き教授は人間同士の繋がりとは「隣人」である感覚を持つこと(neighbourliness)であるとして、この感覚を維持するには「境界線」が必要である、と主張する。というのも、教授によれば民主主義及び国民国家と三位一体の関係にある境界線、すなわち国境は、我々を囲む法体系がどこの馬の骨かもわからないトランス・ナショナルな官僚機構ではなく、我々自身によって形成されているのだと感じるために必要不可欠だからなのである。そしてこのような主張を行った上で、教授はしばしば批判される「国民の神話」を一種の必要悪であるとして、「高貴な虚構」と呼称することで擁護する。
上記のような教授の主張は、2000年前後以降、特に本邦において盛んに唱えられた「ポスト・国民国家」論や、現在における欧州連合のジレンマを鋭く炙り出している、と言えよう[1]。何らかの「公共圏」を形成することはいかなる政治体系を作る上でも必須のものであるが、冷戦後に盛んに唱えられた「国民国家の終焉」の議論とそれに基づいて唱えられた「トランス・ナショナルな市民」の理論をもとに形成された欧州連合は当初は期待の眼差しを持って眺められていた。
しかしながら、果たして結果的にこの連合は互いを皆隣人と感じる「EU市民」の形成に成功したのだろうか。筆者には、現在の欧州連合の姿を見る限り、とてもそうは思えない。むしろ、誰に主権が帰属するか、ということに関して常に国民国家と欧州委員会・欧州議会の間で衝突が起きている状況を見ると、完全に失敗したように思われてならない。その意味でも、教授の指摘は傾聴に値するだろう。

 

上記の「国民」概念に関する議論を行ったのちに、教授は経済システムに関する議論を行う。
第4章「社会主義の本質」において、スクルートン教授はまずリバタリアニズムに近い立場からの社会主義批判を展開する。その要点は、国家(権力)の限界なき肥大化と、国家財政への過度な負担という二つの要素に対する批判である。これらは典型的な英米の自由主義的保守派の見方であり、MMTなどに理解を示すことのできる我が国の一部の保守派とは立場が明確に異なるといえよう。このようなリバタリアン的立場に基づく社会主義批判が確かに国家権力の肥大化を警告する役目を果たしていることは事実であり、傾聴に値するものであることは間違いない。
しかしながら同時に、この立場に基づく国家財政の肥大化に対する批判は、(例えば現在の米国に見られるように)コロナ禍のような緊急事態において必要となる即座かつ迅速な財政出場に対しても教条主義的な反発になりかねない可能性がある。さらにこの立場の大きな問題点は、明確にマルクス主義的イデオロギーとは一線を画するケインズ経済学をも「社会主義」として一括りにしてしまう傾向にあることである。このことからも、英米のリバタリアン的立場は例えば我が国における社会保守主義とは相容れないものであることは明らかだろう。
以上のような大きな問題点をはらんでいるとはいえ、興味深いのはその次に教授が展開する社会主義における平等至上主義に対する批判だろう。教授はこの中で「(社会主義におけるゼロサム的な見方は)怪我を負わされたことではなく、失望から生じる。その見方は常にルサンチマンを掻き立てるような、(自身とは)対照的な成功者を探し求めるのである」と述べる。その上で国家権力が生み出す平等ではなく、慈善の精神こそが調和的社会状態を生み出すことができるのだ、と説く。
上記のような教授の見方は、英米において広く受け入れられている古典的自由主義の考え方と、そこから生じるリバタリアニズム的保守主義の考え方に忠実に則ったものである。しかし単にそれのみならず、そこには英国社会の階級体系の擁護という側面があることも忘れてはならない。というのも、米国の保守主義と異なって、英国の保守主義には、貴族階層のノブレス・オブリージュこそ英国を偉大たらしめているのだ、という意識が明確にあるからである。この保守主義は、資本主義によって誕生したブルジョワ階層の、社会主義的な階級闘争に反対する手段としての保守主義、などというものとは大きく異なることは述べておかねばならない。それは前近代な階級社会の擁護であり、王権を制限するアリストクラシーが英国政治を形作ってきたという伝統を踏まえたものである。ここに、そもそもフランスのように近代的で「平等」な市民社会を前提としない英国の保守主義の真髄を見ることは不可能ではないだろう。

 

上記の社会主義に関する議論を引き継ぐように、第5章「資本主義の本質」において、教授はオーストリア学派の代表者であるハイエクの理論を検討するところから始める。そこで教授はまず、ハイエクの理論が「市場は全能である」などということを述べている、という主張に反駁する。教授によれば、ハイエクが主張したのは、市場が社会的協働に必要な手段を提供する能力を有するということに過ぎない。そしてその上で、全てを市場に委ねるべきであるという立場はナイーヴであるとしてその規制の必要性を認めた上で、しかしながらその規制は新たな政府によるものではなく、伝統的な英国の慣習法、すなわちコモン・ローによって行われるべきである、と説く。
上記の主張を行った上で次に教授は、特に米国において見られるような、極端なリバタリアニズムによる市場の全面的支持に疑問を呈する。
そこでは、グローバリゼーションの進展以降、欧米において発展した巨大なショッピングモールが例として挙げられる。教授は、それらのショッピングモールの展開は副作用として供給網整備のために環境及び景観の破壊をもたらし、また中小の商店を次々と閉鎖に追い込んだ元凶として非難する。そして、これらの巨大なショッピングモールの展開が市場経済に全面的に依存したグローバル資本主義によるものである事実を鑑みるに、果たして市場に何ら規制をかけない態度が社会保守主義的観点からみて支持しうるのか、と述べる。
上記の教授の主張は、いくつか興味深い点を持つ。第一に言えるのは、繰り返しになるが改めて教授が極めて伝統的な英国の古典的主義者である、ということである。すなわち、その立場というのは「下から」の、自発的な法体系の発展こそが自由で調和のとれた(「平等な」ではない)社会を維持するために必要不可欠なものであり、政府からの「上からの」法規制等は自由を侵害する悪しきものである、という立場である。ここにおいて、アングロ・サクソンの保守主義的立場が社会主義とは全く相容れないことが理解できよう。
とはいえ、この立場には教授の社会主義批判に潜んでいたものに近い問題点があることは指摘されなければならないのも事実である。というのも、資本主義が十分に発達していなかった18世紀ならばともかく、20世紀以降の地球規模に膨張した資本主義を慣習法のみで縛るのは、あまり効果の期待できない対策であることは明白だからである。さらにいえばそもそもこのような市場を慣習法で縛るという考え方自体、教授が擁護しているハイエクが説いているものなのである。しかし残念ながらこのような形で市場に縛りをかけることがほとんど効果のないものであったことは、教授曰くハイエクを「誤読」したサッチャー政権下で何が行われたかを見れば明らかだろう。
また指摘しておかなければならないのは、この「ショッピングモール批判」は、90年代において、当時は新聞社に勤めるジャーナリストであった現ボリス・ジョンソン英国首相が行なっていたものである、ということだ[2]。この事実は、現在の英国保守を考える上で示唆的な情報だろう。
ちなみに、我が国においてはこの「ショッピングモール問題」が先鋭化していったのは、2000年に森喜朗政権下で施行された「大規模小売店舗立地法」以降であろう[3]。この法制定以降我が国でも大型ショッピングセンターの展開と商店街の衰退が急速に進んだことは、周知の事実であると思われる。英国と異なるのは、このような結果をもたらす規制緩和を促進したのが「社民・革新・左翼リベラル」側の第三の道路線を掲げる労働党ではなく、「保守」の自民党であったということだ。

 

以上の経済システムに関する議論を行った上で、教授は所謂「左翼リベラリズム」の批判へと議論を以降させていく。
第6章「リベラリズムの本質」において、そもそも「リベラリズム」という政治用語が何を意味するのか、それの持つ意味がどのような歴史的変遷をなしてきたのか、という議論を行う。
教授はまず、伝統的(古典的)リベラリズムというものは「政治が成立しうる社会は、その個々の成員が自己の身の上に起こることに関して、自由に満足や不満を表明できる権利を有する時に存在する」と主張するものである、と述べる。
その上で、このリベラリズムは宗教的連帯よりも市民的連帯の上に成り立つ民主主義を支持するものであると論じ、それは英国においては宗教的差異のために妥協の精神を発揮することのできなかった清教徒革命に対する反省に端を発している、と指摘する。この議論を前提として、教授は「権利」概念は、そもそも「自由」概念と不可分である、と説く。
上記の教授の議論は、英国政治史を辿れば必然的に至る結論だろう。というのも、名誉革命において明確化された「自由」は、王権という名の国家権力からの自由を意味するものに他ならなかったからである。そして「権利」とは、国家権力から「自由」であることの「権利」を万人が有することを意味したものに他ならなかったからである。 以上の「権利」に関する議論を行った上で、教授は昨今の左翼リベラリズムによって唱えられている「人権」概念に対し、強い批判を展開する。曰く、マイノリティの「権利」を殊更に強調する「人権」概念は、古典的な「権利」概念を「自由から要求へ、機会の平等から結果の平等」へとその意味的内実を転換させてしまった、と嘆く。
そしてこの「権利」概念の転換は、国家権力の極端な肥大化とあらゆる個人的生活の官僚的政府機構への吸収を導いてしまった、と主張する。そして、この左翼的リベラリズムによって生み出された「人権」概念は、古典的リベラリズムにおいては平和的で妥協に基づく政治プロセスを生み出すために必要不可欠であった「権利」概念を、マジョリティ文化に対する暴力的な宣戦布告の手段へと転用してしまった、として厳しく批判する。
以上の教授の議論は、同じく国家の近代化にとって必要不可欠であったにも拘わらず、大きく異なる方向をとっていった英仏のそれぞれ「権利(rights)」(英)と「人権(droits humaines)」(仏)概念の間に横たわる溝を意識させざるを得なくするものであろう。前者はそもそも王権という名の国家権力から(主に貴族層の)「自由」を守るために発展したのに対し、後者は市民の「平等」を維持するために生み出され、必然的に国家権力の強大化を要請することとなった。
事実、現在においても成文憲法のない英国では明確に「身分の平等」を規定する法的文言は存在しない。このように、一貫して英国の古典的自由主義の立場に則って反フランス革命的な保守主義の立場を主張する教授の議論は、極めて重要な「人権」及び「平等」概念に潜む問題点とジレンマを暴き出している、といえよう。

 

次に第7章「多文化主義の本質」において、スクルートン教授はまず「政治的秩序を形成するには、政治的決定そのものでは作り出すことのできないような、文化的統一性が必要である」と明言する。そして、「新参者を受け入れて同じ生き方へと溶け込ませ、同じ市民であると認証する共通文化こそが本来の多文化主義である」と述べる。その上で、その上で昨今の「寛容(inclusive)」な多文化主義と、それを理論的に支えるポリティカル・コレクトネスを強く批判する。
この教授の昨今の多文化主義に対する批判の目は、著名なアメリカのポストモダン・プラグマティズムの思想家であるリチャード・ローティに対して強く向けられる。俎上に載せるのはローティが主張する一人称複数(we)となる主体である。教授は、ローティが支持する「間国民的(trans-national)な理性概念を否定することのできる我々」というものが皆「フェミニスト、リベラル、ゲイライツ活動家」に過ぎず、さらに彼がそれ以外の人間に共通する客観的真理などは存在しないと考える以上、広範な社会的コンセンサスをこのローティの立場に基づいて構築することは全くもって不可能である、と主張する。
また教授の昨今の多文化主義に対する批判の目は、エドワード・サイードにも向けられる。教授はサイードの文化相対主義を批判し、彼が「非西欧的文化をそれぞれの物差しで測るべきであると主張する傍ら、西欧文化は客観的かつ批判的な物差しを持って評価するべきだと主張している」として、その矛盾を批判する。その上で、西欧文化をそれ自体において「レイシスト」であるとする立場に対して敢然と抵抗する文化保守主義者(cultural-conservative)で我々はなければならない、と主張する。
以上の教授の主張において興味深いのは、第2章に関する箇所で筆者が述べたように教授が重視している「一人称複数」を巡る昨今の左翼リベラリズムと教授の立場の相違だろう。そもそも前者のリベラリズムは、何らかの「我々」に回収されることを非常に嫌う立場であるが、にも拘わらずアカデミアや政界において素早く何らかの「我々」を形成するものである。
その点では、このリベラル左翼的な「我々」という主体は、極めて排他的な主体である。それは何も奇妙なことではない。というのも、そもそもこの主体は「マジョリティに対する抵抗」を前提として成立しているからであり、マジョリティを包摂した「我々」を形成することは元来眼中にないからである。その点では、この主体は「寛容」も「包摂」も、皮肉ながら全く意識していない。しかし、果たしてそのような状況下において「民主主義」はおろか、対話による妥協とコンセンサスの形成を目的とする「議会政治」すら成立しうるのか。これは重大な疑義であり、残念ながら筆者には極めて疑わしいように思われる。そして、この多文化主義の弊害のために民主的なコンセンサスが成立しないという状況は、我々が現在アメリカ合衆国において目撃しているものに他ならない。

 

第8章「環境保全主義の本質」において、教授はまず地球温暖化などといった人間の対応能力を超えた環境問題に対する対応を求める環境保全主義のあり方を批判し、その行き着く先は人々の主権の喪失と、EUのような信頼できない巨大な国際機関とその官僚組織への過度の権力の集中でしかない、と主張する。
同時に教授は環境保全が重要な問題であるとの認識を示し、保守主義的立場からの環境保全のアプローチが必要であると説く。教授の主張するこのアプローチとは、彼自身の言葉を用いて言えば「ローカルに感じ、ナショナルに考える」というものである。すなわち、教授は地域共同体に損害を与えるところにこそ環境問題の本質はあるのであるとし、その解決のために国際機関ではなく国民国家こそが主体となって改善に取り組まなければならない、と主張する。
この教授の考え方には、冒頭で述べたような教授の父の政治的立場が強く影響しているように思われる。重要なのはまず郷土愛であり、美しき郷土の環境を保護することこそが環境保全の最大の目的である、という立場である。これは左傾化する以前のドイツ緑の党のナショナリズム的環境保護主義とも異なる、元来左翼的な、反国民国家的であるがゆえに郷土主義的な立場から出発したイギリスの環境保護運動を保守的なものとして引き継ぐものである。このようなローカリズムを含んだ、教授の主張する環境保全の思想は、主にナショナルかインターナショナルかということで常に対立するドイツ由来の緑の政治の立場とは違うルーツと可能性を持つものとして、興味深く読むことができるだろう。

 

第9章「インターナショナリズムの本質」において、再び議論の中心に置かれるのは欧州連合の問題である。
教授はこの章において「補完性(subsidiarity)」の観念に関して、スイス連邦共和国と欧州連合の差異を指摘する。すなわち、スイス連邦においては連邦政府が地方自治体の決定に介入するのは自治体がそれを要求したのみであるのに対し、欧州連合においては補完性の原理は常に加盟国家の主権に介入する前提で存在している、と批判する。その上で再び、国民主権こそが民主主義の基盤であり、それとは逆の方向に向かっている欧州連合は、ソビエト連邦においてレーニンが犯した間違いに極めて近づいてきている、と警告する。
その上で教授は国際連合に関して、その果たした役割を一定の割合で評価しつつ、カントの目指した「永世平和」は、国際機関に対する権限の集中ではなく、明確に国民が主権者である国家同士によって、各国家が共存できる範囲内で国民の認めるところの条件においてのみ平和は樹立できるのだと考えるべきである、と主張する。

 

以上のいくつかの論点に関して議論を行った後に、教授は総論的な議論を最後の4章に亘って行う。まず第10章「保守主義の本質」において、教授は保守主義の柱となる要素をいくつか挙げる。すなわち、「協働と差別」「自律した機関」「対話に基づくモデル」「友情、対話及び価値」「労働と余暇」そして「自由の護持」である。
まず「協働と差別」に関して、教授はこれまでの社会論・共同体論を繰り返して、自由な社会というのは「下から」芽生えるものである、と述べる。
そしてそのような社会を支えるのは、「学校・教会・青年団」等々の国家権力外の機関(institution)であり、これらを徹底的に破壊しようと試みた旧東側の社会主義政権を教授は強く批判する。しかしながら同時に教授は、これらの機関が選別された一部の人間のみで成り立つ排他的な存在である以上、必然的に差別を生む可能性もまた指摘する。
そして実際にそのような差別を生む可能性があるとして、アメリカ合衆国の多くの州で設立が禁止されているボーイズ・クラブを挙げる。教授はここに自由と平等の相克が最も端的に表出しているとし、両者の間でバランスをとることの困難さを述べる。しかしながら同時に前者の側に立ち続けることが自由を守ることに直結すると述べ、平等よりも自由を優先する立場を明確にし、後者は常に自由を嫌悪する人間のルサンチマンによって希求される傾向が強いことを指摘する。

この箇所において重要なのは現在の左翼リベラリズムによる「反差別」的政策と、旧共産圏における反社会的政策に通ずる共通項を浮き彫りにしている点だろう。両者は明確に「自由」よりも「平等」を重視する立場にあり、どのような「不平等」を是正しようと試みているかは別であるにせよ、「平等」の実現によって犠牲にしようとしているものがあまりに大きい可能性があることは、指摘しておく価値があるだろう。
次に「自律した機関」に関して、教授は上記の議論を継続する形で再び「機関」の重要性を述べた上で、ルサンチマンから守られるべきそのような「下から」発展した機関の1つとして英国のパブリック・スクールをあげる。教授はこの形態の学校機関が平等主義(egalitarianism)の立場から何回も攻撃にさらされてきたにも拘らず生き延びてきたことを賞賛し、間違った平等主義のもとでこのような学校を閉鎖するよりも、むしろそれらが社会に資するものであるとして多く開校すべきである、とする。そして保守主義の本質的な主張とは、「社会は上から殺されうるが、下から生じ出るものなのである」というものであると述べる。
この教授の議論は、例えば現在フランスにおいて国立行政学院(ENA)をエリート批判に応ずる形で閉鎖する方向性が打ち出されている中、現実味を持つものだろう[4]。国民を「総ルサンチマン化」させるようなこういった政策は、国家をリードできる優秀な人材を輩出する可能性そのものを消滅させる危険性をはらんでいる。対して英国は、繰り返すように現在においても身分制国家であり、成文憲法もなければ平等規定もない国家である。ゆえに、イートン校のような制度としてのパブリック・スクールを維持することができている、といえよう。

3つ目の柱である「対話に基づくモデル」に関して、教授はオークショットを参照しながら、政治的確執は対話を持って解決すべきであり、何らかの暴力的な強制力を持って解決はなされるべきではない、とする。そして前者が保守主義の政治解決の方向性であるのに対して、後者は一貫して教授が批判している「上から」の政治的解決の手段であると述べる。

第4の柱である「労働と余暇」に関して、教授は前の「対話」の重要性に関する議論を引き継いで、労働と余暇が政治においてどのような役割を果たすべきかを議論する。ここで教授はマルクスの疎外論を批判しながら、協働作業を含む労働こそ、そこに生き生きとした対話を持たせることで人間性に満ちたものにすることが可能だと主張する。そしてそこにシラーの「美的遊戯」の理念を与えることで、労働の中で生じる対話が美的になることで政治を「美化(aestheticize)」するべきである、と主張する。そして労働と同様、余暇もそのようなものであるべきだと述べる。

第5の柱である「友情、対話及び価値」において教授は再び「対話」に関する議論を引き継ぐ形でアリストテレスが提唱したような友情と美徳(virtue)に基づく社会と国家の関係を構築することを目指すべきであると主張する。そしてそこでは対話が友情と美徳の上に成り立つものであると述べる。同時に教授は社会のあり方には一定のルールと慣習があるべきであるとし、それが「価値(value)」である、とする。この「価値」に関する具体的な議論は次章において展開される。

第6の柱である「自由の護持」において教授はこれまでの議論を踏まえながら、「対話」を基盤とした「自律した機関」の集合体である「社会」こそ保守主義者が守るべきものであると述べる。そして警察のような組織は国家レベルではなくローカルなレベルで、地域共同体に根ざした存在であるべきであるとする。教授によれば、警察はコモン・ローの伝統に則り、国家権力の意志のままに自由を破壊する存在になるのではなく、むしろ国家権力から自由を守る存在でなければならない。

上記の最後の柱における警察組織に関する教授の議論は、極めて反近代権力的な議論であるといえよう。この議論においても、社会も国家もローカルなレベルに始まる形で「下から」作られるものである、という主張が一貫して根底にあることがわかる。
しかしながら果たして、教授が主張するようなこのような警察組織が近代的な大都市社会において存在しうるのかは疑問のあるところである。
そもそも大半の人間が見知った存在ではなく「匿名」の存在である大都市においては、警察組織も警官も「地域に根ざす」のはほとんど不可能であり、近代警察はその不可能性を前提にして構築されたところがある。このことを鑑みれば、教授の警察論は批判的な検討が必要であろう。

 

第11章「価値の領域」において、教授はこれまでの議論を総括する。
第一に教授は、「国家の果たすべき役割は社会主義者が求めるものよりも大きく、古典的自由主義者が求めるものよりも大きい」として、適度な大きさの政府が必要である、と主張する。

第二に、教授は国家における宗教の立ち位置について、宗教は世俗的な法体系の中において自由に実践されるべきものであるとして、イスラム原理主義を強く批判する。その上で、世俗的な法体系の範囲内に収まるべきでありながらも、宗教が文化形成に果たしてきた大きさを認め、その点では守られなければならないものであるとする。

第三に教授は婚姻制度に関して、これを個人の自由と尊厳の象徴であるとして国家権力の過度な介入から保護すべきである、と主張する。 そして第四に教授は、「文化と美」が「価値の領域」において最重要なものであるとして、本書において初めて極めて美学的な議論を展開する。この箇所において教授は極めて保守的な芸術観を提示し、マルセル・デュシャンの現代アートやル・コルビジェの建築様式に対して強い批判を行う。その上で、筆者が前章で述べたような美学者たちの名前を挙げて「今いるこの場を自らの故郷と考え、他者及び自分自身との間の調和的な生活を送ることができるようになる」道を選ぶべきである、と述べる。

本章の題目にある「価値」に関して教授が最も重視するのは、美学者らしく「文化(芸術)と美」であるが、ここで教授が展開する芸術論は残念ながらあまりにも(ブルジョワ市民的な観点から)保守的なものであると言わざるを得ない。ここで教授が行うのは(特にフランスの)モダニズム芸術に対する強い批判であり、このモダニズムが18・19世紀的な西欧の美的規範を破壊したからに他ならない。
しかしながらモダニズム建築を含めた様々な20世紀のアートが新たな美的領域を切り開いたことは間違いない事実であり、これらを「美的ではない」として一方的に否定するのは逆に様々な美的規範に対して寛容になれない頑迷さを露呈している、と批判されても仕方ないだろう。ここから見て取れるのは教授が極めて近代美学の立場に忠実に従っているという事実に他ならない。

 

このように自身の美学的立場を前面に出した後、教授は再び世俗主義と民主主義の連関の議論を行う。
第12章「実践的な重要事項」において、教授はまず「西欧的民主主義は、一定の領域内における世俗法の支配を基盤として成立する」として、宗教的正統主義(orthodoxy)による支配を自由原理に反するとして退ける。ここで教授が「宗教的正統主義」として強い懸念を持って挙げるのはイスラム原理主義である。
その上で、現在欧州委員会及び欧州裁判所によって強要されている新たな「正統主義」として「男女に差異はないとするジェンダー平等の原則」と「文化相対主義の原則」があるとして、これらを自由と民主主義の反対勢力であるとして批判する。そしてこれらの反対意見を認めない「正統主義」が政治的妥協を原則とする民主主義に正面から反するとして批判し、保守派も多数意見の優位の原則と同時に少数意見の尊重の原則を離れてはならないとして、それを怠れば政治的分断が深刻化する可能性があると警鐘を鳴らす。
この教授の世俗法重視の立場は、教授自身が書いているように、宗教対立が原因で陰惨な内戦を経験したイギリス特有の背景があるように思われる。清教徒革命においてまさしく「宗教的正統主義」同士が激しく衝突した経験があるからこそ、名誉革命以降のイギリスは慣習法・世俗法重視の法体系を志向していったことは周知の事実である。
また教授の「新たな正統主義」すなわち左翼リベラリズムに対する批判及び警告は、現在のアメリカ合衆国の状況を見ていると極めて強い現実味を帯びてきていると思われる。
国民それ自体が「加害者」と「被害者」に分けられた上でそれぞれ異なる党派同士で結び付き、他方を同胞と認めない現状は、国民国家のみならずそれを支える民主主義的制度そのものにこれまでにない危機を突きつけている。そしてポスト冷戦期において左翼リベラリズムが希求したところの「ポスト・国民国家」は、皮肉にも「多様性と寛容」が国民同士の間に一種の内戦状態を作り出すことで国家そのものを内部崩壊させる方向に作用しているといえよう。この教授の警告を我が国は他人事として聞き流すべきでは到底ないと、筆者は考える。

 

最終章である第13章「哀哭を退け、喪失を認めるような告別」において、教授はこれまでとはうって変わって、極めて文学的な議論を展開する。
シラー『素朴芸術と情感芸術について』を想起させるような美しい散文で書かれたこの章において、教授は脱宗教化・世俗化した近代の英国においていかに文化保守主義を実践するべきか、ということを問うている。ここで取り上げられるのはヴィクトリア朝期のイギリスの耽美派詩人であるマシュー・アーノルド及び同時期の批評家であるジョン・ラスキンである。両者はここで19世紀において人間精神にとって重要な位置を占める宗教性が失われつつあることを自覚し、その喪失の痛みを感じながらも、キリスト教文化の遺産というものを後世に残そうとした、と教授は述べる。そして両者の列に並べられるのがT.S.エリオット及びR.M.リルケであり、教授は彼らが「喪失を認めながらもそこで哀哭に暮れることを拒み、むしろ未来を向いて遺せるものを遺そうと試みた」と賞賛する。
これらの文学者たちと共に教授が挙げるのが自らの父である。教授は、彼が社会主義者で無神論者でありながらも、「歴史的連続性と人々がそこで生きたことである証の古い建築物」を保全することに力を注ぎ、それらが連続性を中断するモダニズム建築によって置き換えれられることを嫌悪したことを想起し、ここには「深く根ざした保守主義の精神」があった、と述べる。
上記の文学者の次に教授が挙げるのが英国国教会・聖公会である。教授はまず聖公会がいかにプロティスタンティズムとカトリシズムをごちゃ混ぜにした下らない混合物にすぎないか、いかにこの教会が現代において内実的な意味をほとんど失っているかを述べる。その上で、しかしながら同時に聖公会は内実的な意味をほとんど失い、そして神学的な論争を基本的に避けてきたからこそ今まで生き延びてきているのであり、まさしくそのために英国のナショナル・アイデンティティそのものを形作っているのである、と主張する。
そして英国では人々が聖公会の教会などを英国文化の遺産として守り保全してきたからこそ、それらの建築物はいまだに美しさに満ち、文化的象徴として英国の隅々を美で満たしているのだと説く。教授はここに、「保全・保守(conservation)」の本質があるとする。すなわち、保守主義とは美のみならず、歴史的連続性とその意味を保全するものである、と。そして最後に、再び自らの父に言及し、彼は郷土の自然・景観・歴史的建築物などの保全を通し「人々の心が必要とする美を守るために、庶民の側に立って戦っていたのだ」と述べる。
この教授の議論は極めて近代主義的な保守主義の文脈に則った議論であり、いわゆる世俗主義的ナショナリズムの擁護論であるといって差し支えないだろう。そしてそうであるがゆえにこそ、この議論は英国独自のもの、もっと言えば(これは教授自身が自覚して書いていることであるが)英国保守主義にのみ適応されるものである、ということができるだろう。
例えばカトリック保守主義が強固な国家においてはこのような世俗主義的な保守主義の議論は通じることはないであろうし、他の宗教的保守主義が強固な国家においても同様である。また我が国においても宗教性を明確に帯びている皇室も確かに歴史的連続性を保持する役目を担っている面はあるものの、「内実的な意味を失っ」て存在し続けている、ということは明らかに考えられないだろう。このことを鑑みれば、本章における教授の議論がいかに「普遍的」なもの足り得ないか、ということが逆説的に浮き彫りになる、といってもいいだろう。
しかしながら同時に興味深いのは、教授の父に関する議論である。この議論は第1章においてある程度行われていたものであったが、再びいかに労働者階級の教授の父が「地域に根ざした」保守性を有した人間であったかが言及されている。ここから読み取れるのは、いかに英国、特にイングランド北東部における労働者階級の人々が、サッチャー政権以降に生み出され、そして「第3の道」路線に舵を切った労働党のブレア政権以降に大量に増殖し、ロンドンを中心とした大都市に居住する根無し草の「グローバル市民」とは異なる性向を有していたか、ということである。

 

総評

本書が出版されたのは2014年であり、英国のEU離脱を問う国民投票が実施される2年前のことである。UKIP(英国独立党)がイギリス政界において猛威をふるい、政治の最重要問題として欧州連合の問題を提起していた時であった。これは単に英国の外交問題のみならず、様々な左翼リベラリズムによって規定された国家のあり方そのものを問うものであった。
そしてそこには、労働党が「第三の道」に舵を切って以降、常に政治によって無視され続けていたかつてのイングランド「労働者階級」の影があった。教授はまさしくこの労働者階級の存在を自らのバックグラウンドに持ち、彼らに対して深い慈愛の念を抱いていた。
本書において前面に打ち出される、そういった労働者階級こそが「保守主義者」たちである、という観念は、当時においては決して一般的なものではなかった。しかしながらブレクジット以前において、誰が「保守主義者」であるかを英国の保守派が理解し得ていなかったのも、また事実である。
左派的リベラリズムがポリティカル・コレクトネスの力を背景に跳梁跋扈していた当時の英国において、保守党は自らの国家としての基軸を全く打ち出すことができていなかった。
しかしながら当時すでに、国家の新たな基盤となる理論は、スクルートン教授をはじめとして、非主流派の保守派の知識人が用意していたのである。

現在、英国保守党が難なく新たな国家の方向性を打ち出し、円滑に政権運営を行えていることには、そのような理由があるに相違ない。
筆者は、我が国の保守派知識人が故・ロジャー・スクルートン教授の業績に習い、私自身を含めて、我が国の新たな展望とその向かうべき方向性を指し示す政治理論を構築せんことを、いち愛国者として心から願うのみである。

アウグスト・ジグムント

 

書誌情報 Scruton, Roger: How to be a conservative, Bloomsbury Continuum, London, 2014

 

[1] 鄭暎惠『<民が代>斉唱』岩波書店、2003 [2] https://www.youtube.com/watch?v=i0unyDh6wAo&t=15s [3] https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_housei.nsf/html/housei/h142091.htm [4] https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR0903R0Z00C21A4000000/